お問い合わせ

「大福」が来ました

西宮の十日えびすは、混雑がすごいので、5日に行ってきました。おみくじを引いたら、大吉の上の「大福」やて。初めてです。〈まあ。今年から始めたそうですよ〉 それが白い紙のおみくじとちごて、金色の紙にえべっさんが描かれて、とっても御利益ありそう! うふふ。笑う門には福来る、ですね。
 (三田、主婦、79)

(2019/01/08)
 

生きて会えました

中2から宮城県の友達と文通しているんです。2011年の東日本大震災のとき、もう心配で心配で、初めて電話しました。被災者に伝言できる手段でやっと連絡がついたんです。そして、今年初めて会いに行きました。復興の様子を見に、高槻の友達と女川町から石巻へ。8年もたつのに、まだこんなの?が感想。岩手・陸前高田も延々と原っぱ。何もないの。政府は一体何をしてるの。女川の商店街はぽつんぽつんとあるぐらいで、住宅街は高台だし。あの日、しゅうとめさんを高台へ車で送り、着替えを家へ取りに行くと「逃げろ」の声が聞こえ、慌てて逃げたって。下着1枚ない状態で過ごしたそう。生きて会え、本当によかった。いい年になりました。
 (三田、主婦、71)

(2018/12/28)
 

「災」が取り持つ縁

先日、友人と京都の清水寺へ行ってきました。今年の漢字「災」が飾ってあって、その友人とは「災」が取り持つ縁なんです。夏に羽田から神戸へ向かう飛行機に乗ったのですが、強風で「名古屋で降りるか羽田に引き返すかもしれない」という条件飛行でした。機長が「神戸空港上空は…」とアナウンスするたびに冷や冷や。無事、神戸に着いた時には拍手と歓声が上がりました。隣の人と「よかったですねー」と安堵(あんど)し合ったのが、その友人です。私の関東弁に気付かれ「主人の転勤で越して来たばかり」と言うと「じゃ、あちこち案内しますよ」って。禍福はあざなえる縄のごとし。来年はいい年でありますよう。
 (神戸・兵庫、主婦、54)

(2018/12/21)
 

感謝して前向きに

発言欄の「若者Box席」が好きで、必ず目を通します。先日の「プラスの言葉をかけ合おう」を読んで、いろいろ考えさせられました。去年、脳腫瘍の手術をして、今年の4月にも3カ月入院。私は周囲の人や病院の先生、看護師さんに「ごめんなさい」ばかり言ってきたように思います。悪い言葉じゃないけどマイナス思考のような気がしてきて、これからは「ありがとう」と伝えることにしました。感謝して前向きに暮らします。
 (明石、無職、男、43)

(2018/12/11)
 

おいしい旅の出会い

仲良しグループ8人で、毎年11月に、全国のおいしいものを食べに行くんです。7年ぐらい続いてるの。まず日帰りが条件。始発で行き、終電で帰ります。何を食べるか考えるのが楽しみで、今年は博多へ行くことにして情報集め。誰もが「もつ鍋」を薦めるんだけど、1人をのぞいて、もつ鍋は全員苦手。これも挑戦と、評判の店へ行ったのですが、やっぱり苦手でした。でも、期せずして街はソフトバンク優勝で沸き返り、パレードに出くわし、選手のかっこいいこと。それに博多っ子の親切なこと。思わぬ楽しい一日となりました。
 (三田、主婦、57)

(2018/11/30)
 

思わず孫の頭をなでて

先日の夕方、車を走らせていると、前方にきれいな夕焼け雲が浮かんでいました。一緒に乗っていた小2の孫娘に「きれいだねえ」と言うと、去年亡くなった主人の父、今年亡くなった私の父を思い出したようです。「あの雲の上で、おっきいじいちゃんたちお散歩してるかな」とつぶやくので、思わず孫の頭をなでてしまいました。家に戻ると、仏壇に手を合わせ、線香をあげてくれて。ほっこりした一日でした。
 (三田、主婦、64)

(2018/11/20)
 

もう一度訪ねるつもり

相楽園で開かれている第67回神戸菊花展へ行ってきました。中に入るとどこからともなく菊の香りが漂ってきて、何とも言えぬ心地の中、お弁当を広げました。出品されている人でしょう、道具箱を出して菊の手入れをされていて、以前、子どもより何よりもかわいい、と聞いたことがあります。頭の中はいつも菊のこととか。ビルの中の日本庭園で繰り広げられる“菊のうたげ”。最終日までにもう一度訪ねてみようと思いました。
 (神戸・北、主婦、70)

(2018/11/13)
 

震災の日生まれが結婚

阪神・淡路大震災の日に生まれた三男が、今月末、結婚式を挙げます。生まれてから新聞の集金を10年ほどしていて、小さいとき保育所へ預けず一緒に回っていたので、随分読者のみなさんにかわいがってもらいました。兄2人を差し置いての結婚ですが、初めて娘ができるんですね。幸せになってもらいたい。
 (神戸・垂水、会社員、女、53)

(2018/10/27)
 

主夫”の若葉マーク

4年前に妻が亡くなり「男子厨房(ちゅうぼう)に入らず」の世代ですから、今でも“主夫”の若葉マークです。最初は電気釜のスイッチも分からんかった。先日は砂糖と塩を間違えて、食べられたものではなかったです。“俺が働いて食わしてる”と思とったけどえらい間違いやった。仕事は終業時間があるけど家事はない。妻が古タオルを雑巾にしてましたんで、私もミシン掛けをしようかと思てます。何でもきっちりしてたんでまねるのが大変。仏壇に「もっと手を抜いてくれてたらよかったのに」と愚痴を言うてね。自分の趣味は、昔、短距離をやってたのでマスターズに挑戦しようと思てます。
 (神戸・須磨、無職、男、83)

(2018/10/19)
 

私も切り抜きを貼って

昨年、娘さんが教員採用試験に4回目の挑戦をするという方が、その2年前に載った加古川の方の「陰ながら応援してる」という切り抜きを冷蔵庫に貼って励みにしていると、載せておられました。私は、娘さんを応援する切り抜きを、うちの冷蔵庫に貼り息子を応援。合格しました! 何回か言えないくらい挑戦してやっと。うれしいです。最後まで諦めずに挑戦し続けたことに感心してます。記事を冷蔵庫に貼って娘さんを応援した姫路の方、最初の、みんなを応援する加古川の方にもお礼が言いたい。見るたび励まされました。
 (姫路、主婦、54)

(2018/10/11)
 

心が温かくなります

先月の文化欄、作家・庄野潤三さんの「丘の上の家」の記事を興味深く読みました。「丘の−」は小説の舞台となった家を紹介する本で、庭や木々、室内の品々、書斎はもちろんピアノや机の写真もあり大満足です。その家が公開されるというのですから行きたいのはやまやまですが、体調がいまひとつで。好きになったきっかけは友達に勧められ、読後アンケートに答えたら丁寧な礼状が庄野さんから返ってきて。感激して、またお礼にイカナゴのくぎ煮を送り、以来親しくさせていただいていました。病気になり70歳で作るのをやめましたが、その後もご一家と交流は続いています。読書の秋、読むと心が温かくなりますよ。
 (明石、主婦、77)

(2018/10/04)
 

困った時はお互いさま

正平調に阪神・淡路大震災後にお巡りさんがパトロールしながら「略奪など無法地帯にならないか」と心配したが取り越し苦労だった、とありました。それで思い出したことが。ボランティアでおにぎりを用意して長田の避難所へ持って行かせたのですが「数が足りなくて不公平になるから持って帰って、と断られた」と、届けに行った者から連絡がありました。「とりあえず置いてきて」と指示をしたのですが、置いたもののどうなるものか様子を見てたとか。すると「うちは一つでええから、おばあちゃんのおるあんたとこにあげる」とみんなで分け合ってたそう。困った時はお互いさまなんですね。
 (三田、無職、男、63)

(2018/09/28)
 

私も一日一日を大事に

札幌に友達がいて、今回の地震の後、固定電話も携帯電話も通じず心配していました。「無事です。ありがとう…」と声が聞けたのは夕方でした。14階建てマンションの11階に1人住まいの彼女は、息子さんのマンションに避難中。神戸で阪神・淡路大震災、札幌で震度7の大地震、2度も大地震に遭遇するなんて。本当に無事でよかった。地震の時の様子、家の中の様子、今のこと、これからのこと…いっぱい話しました。何か力になれることがあれば、と考える一方、私も一日一日を大事に生きなければ。いつ、どこで何が起こるか分かりませんもの。
 (神戸・北、主婦、71)

(2018/09/12)
 

雨宿りにタオルまで

娘と姫路へ出掛けたんですが、午後から晴天が一転、2時すぎに帰宅しかけたらゲリラ豪雨に降られました。激しい雨と雷が20分ほど続き、ちょうど信用金庫の前を通っていると職員さんが「雨宿りしてください」と店の中に招き入れてくださったんです。その上、新しいふわふわのタオルを5、6人にくださって。洋服も靴もかばんもびしょぬれだったので、温かい心遣いに本当に感動しました。ありがとうございました。
 (姫路、無職、女、76)

(2018/09/04)
 

ものの見方が変わる

「随想」を楽しみに読んでいます。先日、宮下規久朗さんの「私と夏」を読んで、好きだった夏が、大切な人をなくしてから一緒に過ごした思い出とともに苦痛になったとあり、私も母を亡くした思いがよみがえり胸が詰まりました。早速宮下さんのことをネットで調べると、美術史の教授であると分かり、より身近に感じられて。新聞って、自分のものの見方を変えてくれるのですね。改めて、世界を広げてくれるものと分かりました。
 (神戸・北、主婦、63)

(2018/08/25)
 

語り継いでいきたい

看護師になり、勤め始めたとき、先輩方が終戦の日の正午に、仕事しているその場で黙とうされたのです。初めて見る光景で、神々しいというか、とても厳粛でした。戦中、先輩はクラスメートたちが広島へ行くとき、先輩だけ行きそびれ、そして原爆が投下されて。その後、白血病で亡くなる友達が多く、先輩は自分を責め続けたそう。また、野戦病院での話もしてくれました。運ばれてくるのは、ほとんどがけが人でなく亡くなっていて。何をするかというと、死体を集めて灯油をかけ、燃やすのが仕事やったとか。私たちに「人を助けられるいい時代に生まれてきたわね」と。そして「自分の役割は語り継ぐこと」とも。語り継ぐことは、聞いた者の責務やと思います。
 (神河、主婦、62)

(2018/08/17)
 

中3から年齢に応じ

今ね、これまでイイミミに載った私の話を整理してるの。一番古いんは中3のとき。それから学生時代に「好きな人の顔を見てる」って。片思いの年上の人がいてて、切ない話。とにかく文字が小さくて、びっくりですが、読むうち若いときにタイムスリップ。何かあると電話して、日記は付けてないけど、年齢に応じていろんなことがあったんやなあって読み取れます。読みながらうつらうつらして、目が覚めたら56歳になってました。今年中にはおばあちゃんになる予定。また電話しますね。〈待ってまーす〉
 (高砂、主婦、56)

(2018/08/06)
 

傘寿と米寿の間に

筋肉をつくるリハビリに通って、待っている時間に、脳トレをしているんです。その中に、60歳の還暦、70歳の古希というように、80歳の傘寿と88歳の米寿の間に“寿”の年齢があるって質問があって。お宅、知っとって?〈さあ…〉 81歳“盤寿”というんやて。将棋盤の“盤”は9×9の81でしょ。この年になって知ることってまだあるんやねえ。
 (神戸・長田、無職、女、80)

(2018/08/04)
 

 

Copyright(C) 2006-2018 有限会社 北神北摂販売センター All Rights Reserved.